日本で生まれたカラオケを「KARAOKE」として世界共通の言語にしたことも大きな功績です。カラオケを通じ
て音楽と歌を身近なものにしたい、”歌には国境がない”高城喜三郎は他社が考えつかなかった海外進出に逸早く着手しております。
(↓下写真:「上海日光堂金橋有限公司」発表式にて)

ドイツ、ブラジル、スペイン、フランスで「KARAOKE」を商標登録、アメリカでは「KARAOKE JUKE」で登録し、台湾語や北京語、広東語を皮
切りに様々な言語のソフトを作成しました。
広東語に関しては500万人しか世界で使用していませんでしたが、香港の家庭でレーザープレーヤーが普及している
ことから家庭用として大ヒット!
その後、中国・上海市にはカラオケボックスの運営会社「上海日光堂金橋有限公司」を設立、日本企業として初めて現地法人を
設立、その後、華僑を通じてカナダや南アフリカなど世界各地の中国人社会で急速に普及し、外国から日本に働きに来る人達にも外国語ソフトが売れました。
(↓下写真:CEショー受賞式にて)
アジアでの普及と同時にアメリカでも大胆な進出を図りました。20代半ばで旅行代理店をしていた黒部氏をスカウト「カラオケを世界語にしてくれ」との言葉に
感銘を受けた黒部氏はその後、「日光堂USA」の社長に就任、低音域と高音域を重視するアメリカ向けハードの開発が奏功し、昭和50年にはシカゴのコン
ピューターエレクトロニクスショー(CEショー)でグッドデザイン賞を受賞するに至ります。